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| 日本の郵便局は、「郵便」「郵便貯金」「簡易保険」の三事業を、日本郵政グループの日本郵政の下、日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命から業務の委託を受けてお客様にサービスを提供しています。三事業の創業時期は異なりますが、現在では、全国およそ24,700局をネットワークにして、日本国中あまねく公平に各種サービスを提供しています。そして、これらの郵便局は、常に地域とともに歩みながら、地域の利用者に愛され親しまれております。 |
日本の郵便は明治3年(1870)6月、前島 密(※1)によって建議され、翌明治4年3月に創業されました。当初は、東京―大阪間の試行実施でありましたが、12月には九州の長崎まで郵便線路を延長しています。明治4年(1871)に東京―大阪で創業された郵便事業は、翌5年7月には早くも全国規模で展開され、このとき、すでに「郵便役所」と称された官設の機関は、四日市(東京の日本橋)、京都、大阪、横浜、神戸、長崎の6ヶ所にあり、その他に1,120ヶ所ほど、民間の人々に局舎を無償で提供してもらうなどの協力を得て開設した「郵便取扱所」がありました。この郵便取扱所の責任者を、当初は「郵便取扱人」と称しました。郵便取扱人は、各地の資産家や名望家がなり、局舎や業務運行に必要な用品、施設を提供しました。
明治6年4月、郵便料金が全国均一性となり、官設の郵便取扱所のうち、主要地の270ヶ所を郵便役所と改称すると同時に、それを二、三、四等に格付けし、郵便役所と改称されなかった郵便取扱所を無等にし、無等は全国に2,900局になりました。また、その年の8月には郵便取扱人という呼称を「郵便取扱役」に改めました。郵便役所、郵便取扱所を、すべて『郵便局』の名に統一したのは、明治8年1月1日です。このときから、郵便局を一等から五等に分けています。明治19年3月には、すべての郵便局を一、二、三等局に区分けするとともに、責任者であった取扱役という言い方を廃止して「郵便局長」に統一しました。この等級が廃止される昭和16年(1941)まで55年間「三等郵便局」と呼ばれ親しまれてきましたが、等級制の廃止と同時に「特定郵便局」と呼ばれ、一等、二等の郵便局が「普通郵便局」となったのです。
明治16年1月から、郵便条例が施行されました。その特徴は、郵便物を第一種(書状)、第二種(郵便葉書)、第三種(毎月1回以上発行する定時印刷物及びその付録)、第四種(書籍・帳簿・各種の印刷物・写真・絵画・絵図・営業品の見本及び雛形)の4種類に分類し、郵便物の種別を体系化したことであります。明治24年には、民事訴訟法の施行に伴う特別送達の取扱い、鉱業に関する書留郵便物で、差出人から請求があるとき受け取り証書に引受時刻を記入する現在の引受時刻証明の前身にあたる取扱いを開設しました。明治25年には配達証明郵便制度を実施しています。明治時代に固められた郵便制度を基礎に幾たびか改正を重ねるとともに、小型物品の配達をする郵便小包、そして近年に至って国際郵便の取扱いも開始しました。最近は、IT化により、通常郵便がメール等に押され気味で、収入が毎年数パーセント減少していることから、一般小包郵便物(ゆうパック)や国際郵便の利用拡大に力を入れています。 |
| ※1 前島 密(まえじま ひそか) |
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1835年(天保6年)生まれ、1919年(大正8年)74歳で没す。
越後国(上越市)の豪農、上野家の二男として生まれる。母の薫育を受け、幼い頃から勤勉で、努力家であった。名は、上野房五郎(ふさごろう)、その後、巻 退蔵(まき たいぞう)、前島来輔(くるすけ)、そして前島 密と改めた。旺盛な研究心、向上心は終生止むことがないことに加え、その人柄は、実直にして誠実、穏健であったが情熱的で強い信念の持ち主でもあった。
1870年、駅逓権正(えきていごんのしょう)に、翌年には駅逓頭(えきていのかみ)に任命され新しい郵便制度を実施しました。「郵便の父」の称号に代表されるように、近代郵便制度を創設し、現代に連綿とつながるその時代のインフラを整備した業績が偉大である。また、前島の創業した事業は、わが国の近代化を加速させ、国や国民の繁栄や幸せを強く希求する目的のものであった。
同時代に活躍した今に名を残す大久保利通、渋沢栄一らと懇意にし、同じ業績を残しながらも前島が前面に出ないのは、実に生涯を賭した前島の生き様といえます。 |
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近代郵便の創業、基礎を築く
「いつでも」「どこでも」「誰にでも」利用できる通信制度でなかった飛脚制度から、どこからでも出せる「ポストの設置」、料金前納の証しとして「切手を貼ること」、切手を簡便に求めることができるための「切手販売所の設置」、「全国均一料金制」の実施、そして郵便輸送を合理的に行い「所要時間を明確にした」等である。 |
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貯金事業の創業
銀行のない時代における送金決済や貯蓄のニーズに応えるために郵便為替と郵便貯金制度を創業 |
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簡易保険事業の創業
「小額の月掛」、「集金」、「無審査」そして職業による加入ハンディのない制度を創業した。 |
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陸運事業の創業
次第に郵便取扱量の増えたことや郵便線路の拡張も進んだことから、「内国通運会社」(現:日本通運(株))を設立した。 |
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海運事業の発展
近代化のためには海運事業の興隆が急務であり、「軍艦より商船が大切」と主張し、その発展に尽力した。 |
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新聞の普及
新聞の世論形成と情報伝達の役割を早くから予見し、その発展のために郵便制度における新聞の取扱(低廉化)を定めた。また、自らも新聞を発行。 |
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学問・教育に対する提言と援助
大隈重信のたっての依頼で、東京専門学校(現:早稲田大学)の校長として学校経営にあたり、渋沢栄一とともに奨学金の新設、漢字廃止等を行い、郵便電信学校の創設や商船学校における船員教育を充実させた。 |
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明治8年(1875) 1月、郵便為替が開設されました。郵便為替は、銀行がない時代の唯一の送金制度であり、多くの利用者に利用されました。明治13年1月からは、外国郵便為替の取扱も開始しました。当時、郵便為替が始まった時の取扱局は、101局でしかなかったのですが、全国の郵便局数は3,800局を数えていました。同年5月には、郵便貯金も開業。現在「郵貯」と親しまれている郵便貯金は、イギリス、ベルギー、ニュージランドについで世界で4番目の開業です。
郵便貯金事業の、資金の運用は創業当初から大蔵省(現:財務省)により行われてきました。一方で社会のニーズを先取りした商品開発も行ってきました。例えば、「通常貯金」「定額貯金」に加えて、「進学積立貯金」、「住宅積立貯金」「郵便貯金預金者貸付制度」を創設しました。平成3年(1991)には、貯金利子の20%を拠出してもらう「国際ボランティア貯金」を開設。これは、集めた利子で海外での援助活動を支援するものです。
近年は郵便為替、郵便振替は定着し、ATMの設置・他金融機関と業務提携し利便性の向上を図っています。郵便局窓口での国債や投資信託の販売は新しいところです。 |
簡易保険の開業は、大正5年(1916)10月1日で、「小額の月掛」「集金」「無審査」とともに、職業による加入制限がないのが、創業以来の特徴です。
「簡保」で親しまれているこの事業は、創業時の保険金は20円から最高250円でありました。創設した1年後には、契約数は1,000余件、総契約額は、45万円となりました。万一の場合の保障制度である簡易保険は創業の当初から、健康で長生きをしてもらい、生存中に満期保険金を受け取ってもらおうと、健康増進事業に力をいれました。そのための施策として、大正11年に東京をはじめ7都市に「簡易保険健康相談所」を開設し、昭和19年(1944)9月末には321ヶ所にもなっています。昭和19年10月に医療行政の一元化のため321ヶ所のうち7ヶ所を除き厚生省に移管されました。昭和3年(1928)には、健康増進の一環として、NHKや文部省の協力を得て、誰にでもできる軽快でさわやかな体操を創作し、NHKで放送しました。この体操が大変な人気を博し、「ラジオ体操」として現在でも幅広く親しまれています。
簡易保険商品の販売に力を入れながら、最近はコンサルティング・セールスの推進、CSの推進、情報保護、コンプライアンスの徹底などにも努めています。 |
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