全特理事・北海道地方会会長
佐藤 清彦
蟹工船は何故ブームなのか?
今、若い世代を中心に小林多喜二の「蟹工船」が売れているそうだ。この本は世界恐慌の起こった昭和4年に刊行されたプロレタリア文学を代表する作品である。内容は、「蟹工船」にて酷使される貧しい労働者たちがその過酷な状況に対し、団結して立ち上がる様を描いたもので、読売新聞によれば今年に入り6月下旬までに40万部近くが売れているようである。まさに、隠れたベストセラーであり、その読者層は10代後半から40代後半までの働き盛りが80%を占めるが、特にフリーター、ワーキングプアと呼ばれる人々が中心だとも言われている。彼らの雇用状況が、「蟹工船」の漁夫の状況に似ており、それが共感を呼んだものと言われている。
現代は「蟹工船」が書かれた時代とはおよそかけ離れた時代であり、私自身も共産主義に同調するものではもちろんない。しかし、「格差社会」という言葉がますます現実味を帯び、アメリカのサブプライムローンを発端とする金融機関の破綻に始まる世界的な金融恐慌が予期される今、その意味するところが理解できるのである。
はっきり言えることは、現代のアメリカ的市場主義にほころびが出ていることである。小泉政権においては、全てのことに市場主義、競争主義を導入することで、構造改革という茶番劇を演じてきた訳であるが、リーマンブラザーズの破綻に象徴されるように、競争主義の旗印である「アメリカ」においても、人間的な心をもたない競争は通用しないことが証明されたのではないだろうか?
ここ数年、親が子を殺し、子が親を殺すような事件が多すぎはしないだろうか、そして秋葉原での無差別殺人に代表されるような理不尽な動機での殺傷事件が横行し、その暴力の矛先は次第に弱いものへと移ってきてはいないだろうか?
弱者いじめが日本の主流となってしまったのだろうか。
誰がそのような道筋を描いたのか?
強いものが勝ち、弱いものが負ける。人類はその存在とともに競争にさらされてきたことは間違いない。そのために「戦争」という大罪を犯し、多くの命も失われてきた。だがそれは誤った競争であり、それを正すことで人類は進歩してきたはずである。ルールや道義のない「競争」は行ってはいけないのである。
現代日本はその矛盾に翻弄されているように私には思える。
今、市場一辺倒の競争主義に崩壊の兆しが生じている。アメリカにおける金融破綻は、ヨーロッパに飛び火し、日本もその火の粉を被ろうとしている。日本のバブル崩壊時に見られた金融機関の「国有化」が欧米で起きていることについて、竹中平蔵氏はどうお答えになるか聞いてみたいものである。小さな政府を標榜し、逃げるように引退された元首相はこの事態をどう説明できるのか?
今、日本という国家の将来を賭けた見直しの時代が到来したと考える。我々が、国民のために、日本のために、地域のために戦わねばならないときが今なのである。郵貯、簡保は日本国民にとって金融のセイフティネットであった。全ては国民の福祉のためであり、民営化によりその位置づけは変わったとしても、簡単に競争にさらされるものでは決してない。
常に申し上げているが、我々の行動は自己のためだけの行動ではない。地域に生きる我々は、地域を守らなければならない使命を持っている。だから行動しなければならないのである。是非、地域の皆さんと語り合って欲しい。その使命を地域に伝えてはもらえないだろうか?日本を変えるといえば大袈裟ではあるが、過去、我々、我が組織はそのような力を持っていたのである。今一度、その力を発揮しなければならない時が到来したのである。今は戦時であり、全力を尽くさねばならない時である。
年間、交通事故死の5倍の3万人を超える人々が自殺する日本。
その矛盾を打破するための行動が必要なのであり、「蟹工船」を読んで共感するような時代はあってはならないのである。
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